私は小学校1年生まで宮崎県で暮らし、家庭の事情で父の実家である佐賀県に移り住みました。

宮崎では地元名士の持つ「お屋敷」を賃貸してたらしく部屋数は10を超していたと記憶しています。

そびえたつ石の門柱に日本庭園。裏の倉庫?小屋からは滅多にお目にかかれない珍品を発見した事もあります。

そんな環境から一転。

佐賀県鹿島市の農村へ移住することになります。

まさに「庭には二羽ニワトリ」がいて、杉の葉を敷き詰めた外トイレに、当時もすでにレアだったであろう五右衛門風呂。

ボコボコと波打つ土間の奥には台所があり、初江婆ちゃんが「クジラ入りだご汁」や「黒糖入りお焼き」や「芋饅頭」を作ってくれていました。

冷えたスイカを丸一個持ち去った大吉爺ちゃんが、山でこっそり食べたのが初江婆ちゃんにバレてこっぴどく叱られていたのを思い出します(笑)

そんな自然豊かな生活が約3年続きました。

その後、すこし拓けた場所の一軒家に移り住むことになりました。

この時点で既に、俗にいう「田舎暮らし」生活からかけ離れたものとなりました。

高校生までこの家で過ごし、卒業後は大阪に料理人として就職する事になります。

料理人を経て、ホテルマンに転身、25~26歳の頃だったと思います。

独立心が強い私は、自分で何かできないかなぁと日々考えていました。

そんな中、父が倒れたという突然の知らせ。

慌てて実家に戻り、家業を継ぐ事になったのです。

大阪の都会で過ごした経験が、見慣れた地元の景色を違って見せ、そして輝かせてくれました。

毎日の生活が斬新かつ新鮮で飽きることはありません。

 

飲み水確保の手段として週2~3回、湧き水を汲みに行きました。

風呂を沸かす為に軽トラに500Lタンクを積んで山水を汲みに行きました。

作りかけのお風呂には屋根がかかっていません。

当然、露天風呂なわけですが、そこから見る星空のきれいな事。

都会の便利な生活から、いきなりの半サバイバル生活。

 

そう。戻ってきた家は父の手作り掘っ建て小屋だったのです!